当山は「大蔵山 安全寺」と号し、曹洞宗(禅宗)であります。
福井県の永平寺、神奈川県の總持寺が両本山です。
もとは薬師如来を祀る薬師堂のみが建立されていました。医薬に乏しい時代に人々が病苦を恐れ、病に苦しんだとき、その平癒を祈願したのが薬師如来です。源頼朝が北条政子の眼病祈願のために当山薬師堂に参詣し、荒廃した堂裡を守る僧に「汎く近村に歓進し、以って斯堂の改築を図るべし」と命じ、幾星霜を経て改築のはこびとなったと伝えられています。そして仏縁の深いこの土地に安全寺が開山されました。
御開山は、孤岩伊俊大和尚。開創は正長永享の頃(室町時代前期)と伝えられております。その後、慶安年中 当山七世一国和尚代の時に徳川三代将軍家光より仏供領として朱印八石を賜っております。
禅の道場として多くの人々の信仰とご尽力によって支えられて栄えてまいりましたが、当山は出世寺(足掛け寺)と称され、当山から大きなお寺へ代々の住職が出世していくという寺でした。それゆえ、土間付きの伝統的な、しかも堂々たる風格の本堂を持つ寺にしては発展がなかったようです。明治初期の頃まであった楼門(鶴川農協横)中に安置されていた十六羅漢様は、財力がなく再建出来なかったため現在本堂奥に安置されています。
十八世は東京青山の玉窓寺、十九、二十世は埼玉県熊谷の報恩寺にそれぞれ出世していかれております。二十二世文雄和尚が三十五歳の若さで他界したためその歴史が終わり、二十二世、二十四世弘文和尚(先代住職)だけが当山に眠っております。