薬師堂

安全寺は、もとは薬師如来を祀る薬師堂のみが建立されていました。

医薬に乏しい時代に人々が病苦を恐れ、病に苦しんだとき、その癒を祈願したのが薬師如来である。源頼朝が北条政子の眼病祈願のために当山薬師堂に参詣し、荒廃した堂裡を守る僧に「汎く近村に歓進し、以って斯堂の改築を図るべし」と命じ、幾星霜を経て改築のはこびとなったと伝えられています。そして、仏縁深いこの土地に安全寺が開山されました。

その後、慶安年中 当山一国三滴和尚代の時に当たり、徳川三代将軍家光より仏供領として朱印八石を賜る。(十九世徳全和尚の古文書より)当時墓地隣接地付近には的場(弓矢)、源田ヶ谷戸などがありました。

当山の薬師如来は木の立像にて長さ一尺五寸、かたく秘して妄りに人の拝するを許さず、御開扉は十二年に一度寅年にのみ行われます。(武相寅年薬師十七番札所)堂内左右には日光・月光両菩薩及び十二神将の像を安置してあります。

正観世音菩薩 享保10年徳川代地頭 大河内善右衛門の寄附

薬師堂は承應元年再建、昭和7年再建。